”山笠のあるけん博多たい”のフレーズでお馴染みの「博多祇園山笠」
福岡を代表するお祭りといえば、5月の「博多どんたく」と7月の「博多祇園山笠」です。
「山笠のあるけん博多たい」というのは、福岡に住んだことのある人なら一度は聞いたことがあるのでは?お菓子のCMのフレーズです。(今は、このお菓子の製造も終了してしまい、CMも放送されていません)
「山笠があるからこそ、博多といえるのだ」という意味ですが、とにかく、福岡の夏の風物詩といえば「博多祇園山笠」なのです!
暑くて、町中がもりあがる、歴史あるこのお祭り。この時期は男性陣は仕事を休んで山笠に徹底する人も多いんです。
山笠の魅力についてまとめてみます。
「山笠のあるけん博多たい」というのは、福岡に住んだことのある人なら一度は聞いたことがあるのでは?お菓子のCMのフレーズです。(今は、このお菓子の製造も終了してしまい、CMも放送されていません)
「山笠があるからこそ、博多といえるのだ」という意味ですが、とにかく、福岡の夏の風物詩といえば「博多祇園山笠」なのです!
暑くて、町中がもりあがる、歴史あるこのお祭り。この時期は男性陣は仕事を休んで山笠に徹底する人も多いんです。
山笠の魅力についてまとめてみます。
伝統銘菓「博多山笠」CM - YouTube

FBS福岡放送「ナイトシャッフル」より 福岡の懐かしいCM、欧州の伝統銘菓「博多山笠」。 「山笠のあるけん、博多たい」の有名なフレーズはここから。
博多祇園山笠の歴史
776年の伝統を誇る「博多祇園山笠」は、福岡市博多区で7月に行われる祭で、櫛田神社にまつられる素戔嗚尊(祗園宮)に対して奉納される神事です。
また、2016年には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)による無形文化遺産登録と決定されました。
また、2016年には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)による無形文化遺産登録と決定されました。
博多祇園山笠の起源には諸説がある。櫛田神社の社伝によると、祭神の一つ祇園大神(素盞嗚命)を勧請したのが天慶四(941)年。すでに都(京都)では現在の祇園祭につながる御霊会が行われており、勧請間もなく始まったという説。また、文献的初見である「九州軍記」に基づいて永享四(1432)年起源説もある。
諸説がある中で、博多祇園山笠振興会は一般に広く知られている聖一国師が仁治二(1241)年、疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりという説を取っている。当時は神仏混淆の時代。これが災厄除去の祇園信仰と結びついて山笠神事として発展したというのだ。この1241年を起源として、2016年の本年は丁度775回目の記念すべき開催となる。
時代は鎌倉、室町から戦国時代。博多の町は大陸貿易の基地として栄え、それが故に戦国大名、豪族の争奪の場となって焼け野が原と化した。その復興を命じたのが豊臣秀吉で、「太閤町割り」「博多町割り」と呼ばれる。その間、博多山笠も隆盛、衰退を繰り返したに違いない。 山笠は、古くは高さ15メートル前後のものをゆっくりと舁いていたが、「櫛田社鑑」によると、貞享四(1687)年正月、竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町 (土居流)の花嫁が、花婿ともども里帰りしたところ、土居町の若者が余興として花婿に桶をかぶせるなどしたため、竪町の若者が怒って押しかけて一触即発に。この場は何とか収まったが、夏のお祭りの際、恨みが残っていた恵比須流が昼飯を食べていた土居流を追い越そうと走り出し、土居流も負けてはならじと走り、これが評判を呼び、「追い山」に発展したという。
明治維新後も何度かの危機を乗り越えて現在の博多祇園山笠がある。
博多と福岡の関係って?
福岡以外の人にはちょっとわかりにくいかもしれませんが、福岡には、博多市というものはありません。福岡の一番の繁華街は天神ですが、JRと新幹線の駅は博多駅です。福岡市には博多区という区があり、その博多区で行われるのが「博多祇園山笠」です。
もともと、博多は商人の町、そして福岡は武士の町だったそうです。
歴史のあるこのお祭りは「博多祇園山笠」なんです。「福岡祇園山笠」ではないのでご注意を!
もともと、博多は商人の町、そして福岡は武士の町だったそうです。
歴史のあるこのお祭りは「博多祇園山笠」なんです。「福岡祇園山笠」ではないのでご注意を!
博多祇園山笠2017
といっても、山笠の日程は毎年同じです!
年によって曜日は違いますが、全く関係なく、毎年7月1日から15日まで行われます。今年は7月1日土曜日から7月15日土曜日までです!
年によって曜日は違いますが、全く関係なく、毎年7月1日から15日まで行われます。今年は7月1日土曜日から7月15日土曜日までです!
7月1日〜7月15日 「飾り山公開」
合計14の豪華な飾り山が市内の商店街や商業施設に飾られます。大きくて迫力あるのに、造形は細かく美しく圧巻です。
7月1日、9日 「お汐井(しおい)とり」
1日はその年の当番の町が、そして9日には全ての流れ(「七流(しちながれ)」と呼ばれるグループの呼ばれ方。千代流・恵比須流・土居流・大黒流 ・東流・中洲流・西流の7つがあります)が、流れごとに集合して、法被に締め込み姿で、箱崎浜に集合し、夕日に向かって安全祈願します。
7月10日 「流舁き(ながれがき)」
いよいよ舁き山の登場です。それぞれの流れが各々の区域をはしります。細い路地も通るので迫力たっぷりです。
7月11日 「朝山」
それぞれの流れが、早朝5時から6時にそれぞれの区域をはしります。
別名「祝儀山」とも呼ばれ、功績のある年長者の方を招待して接待したり、子供たちが唯一山に大上がりできる日でもあります。
7月11日 「他流舁き」
朝山から12時間後、ほかの流れの地域をはしります。1日2回走るのはこの日だけ。
7月12日 「追い山ならし」
15日の追い山のリハーサルです。15時59分スタートです。コース距離は本番より少し短いですが、迫力たっぷりです。
7月13日 「集団山見せ」
15時30分全ての山が福岡市役所前に集合します。博多の祭りである祇園山笠ですが、昭和37年に福岡市の要請によって始まりました。
この日に限り、台には署名人や市長などがあがります。
7月14日 「流舁き」
最終日前日、自分たちの流れの区域をはしります。
7月15日 「追い山」
午前4時59分スタートです!
大太鼓の合図とともに一番山笠から順に「櫛田入り」し、その後、境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して舁きます。
「櫛田入り」「コース」ともに所要時間を計測します。
櫛田神社の能舞台では午前6時から鎮めの能が演じられます。
合計14の豪華な飾り山が市内の商店街や商業施設に飾られます。大きくて迫力あるのに、造形は細かく美しく圧巻です。
7月1日、9日 「お汐井(しおい)とり」
1日はその年の当番の町が、そして9日には全ての流れ(「七流(しちながれ)」と呼ばれるグループの呼ばれ方。千代流・恵比須流・土居流・大黒流 ・東流・中洲流・西流の7つがあります)が、流れごとに集合して、法被に締め込み姿で、箱崎浜に集合し、夕日に向かって安全祈願します。
7月10日 「流舁き(ながれがき)」
いよいよ舁き山の登場です。それぞれの流れが各々の区域をはしります。細い路地も通るので迫力たっぷりです。
7月11日 「朝山」
それぞれの流れが、早朝5時から6時にそれぞれの区域をはしります。
別名「祝儀山」とも呼ばれ、功績のある年長者の方を招待して接待したり、子供たちが唯一山に大上がりできる日でもあります。
7月11日 「他流舁き」
朝山から12時間後、ほかの流れの地域をはしります。1日2回走るのはこの日だけ。
7月12日 「追い山ならし」
15日の追い山のリハーサルです。15時59分スタートです。コース距離は本番より少し短いですが、迫力たっぷりです。
7月13日 「集団山見せ」
15時30分全ての山が福岡市役所前に集合します。博多の祭りである祇園山笠ですが、昭和37年に福岡市の要請によって始まりました。
この日に限り、台には署名人や市長などがあがります。
7月14日 「流舁き」
最終日前日、自分たちの流れの区域をはしります。
7月15日 「追い山」
午前4時59分スタートです!
大太鼓の合図とともに一番山笠から順に「櫛田入り」し、その後、境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して舁きます。
「櫛田入り」「コース」ともに所要時間を計測します。
櫛田神社の能舞台では午前6時から鎮めの能が演じられます。