こどもの日には何をする予定ですか?
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皆さんはこどもの日をどの様に過ごしていますか?上のランキングは株式会社バンダイが0~12 歳の子どもを持つ保護者 800 人を対象に行った「こどもの日のお祝いに関する意識調査」の結果です。男女別に集計を取っているので、その過ごし方の違いが非常によく分かりますね。この結果を詳しく見ていくと男の子の1位は兜やこいのぼりなど、この日ならではの準備をする方が多く、一方女の子はケーキを食べる、豪華な食事を作るなど、行事とは直接関係なく、1つの記念日として過ごす方が多いということが分かりました。女の子の節句はひな祭り、男の子の節句はこのこどもの日です。ひな祭りに男の子がお祝いをしないのに、なぜこどもの日は女の子もお祝いをするんでしょうか?それは5月5日に2つの行事が重なっているからなんです。次の章からはこの2つの行事について詳しく見ていきましょう。
5月5日は男の子の成長を祝う「端午の節句」
元々は中国から伝わった行事だった!
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5月5日の端午の節句は、元々中国から伝わった行事だと言われています。昔は年、月、時間などを表すのに十二支が使われていました。今でもうなぎを食べる日を「土用の丑の日」と言ったり、お化けが出る時間を「丑三つ時」と呼んだりしますよね。元々は月の初め(端=物事の端・初め)の午の日を「端午」と呼んでお祝いしていましたが、「午」の音が「五」と同音であることから毎月5日が端午の日と定められました。後に旧暦では午の月が五月であることが関連づけられ、「午の月の午の日」=5月5日の端午の日になったと伝えられています。
奈良時代の日本では、5月に田植えをする前に穢れを祓い身を清めるという風習があり、その風習と中国から伝わった端午の節句が結びつき、5月5日にお祝いすることが少しずつ定着していきました。このころの端午の節句は端午の節会と呼ばれる宮中だけの行事で、宮廷では邪気を払うための儀式や厄除けの為に菖蒲や蓬を飾っていたそうです。
鎌倉時代ごろになると「菖蒲」が武道・武勇を重んじることを意味する「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣先の形を連想させることなどから、端午の節句は男の子の節句として扱われるようになりました。江戸時代になると、端午の節句が徳川幕府によって五節句の1つとして定められ、男の子の健康と出世を願う行事として定着していきました。
奈良時代の日本では、5月に田植えをする前に穢れを祓い身を清めるという風習があり、その風習と中国から伝わった端午の節句が結びつき、5月5日にお祝いすることが少しずつ定着していきました。このころの端午の節句は端午の節会と呼ばれる宮中だけの行事で、宮廷では邪気を払うための儀式や厄除けの為に菖蒲や蓬を飾っていたそうです。
鎌倉時代ごろになると「菖蒲」が武道・武勇を重んじることを意味する「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣先の形を連想させることなどから、端午の節句は男の子の節句として扱われるようになりました。江戸時代になると、端午の節句が徳川幕府によって五節句の1つとして定められ、男の子の健康と出世を願う行事として定着していきました。
「こどもの日」と呼ばれるようになったのは昭和になってから!
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実は5月5日がこどもの日として定められたのは戦後の昭和23年からなんです。大正時代には5月5日を「児童愛護デー」として活動していた団体が存在していたことや、国会に寄せられた請願も「こどもの日を祝日として5月5日に定めてほしい」という希望が多かったことから、この日がこどもの日と定められました。祝日法によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」事が趣旨となっています。こういった経緯から現在では、5月5日は男の子の行事である「端午の節句」の文化を残しつつも、「こどもの日」という呼び方が馴染み深いものになっています。
こどもの日にこいのぼりを飾るのはなぜ??
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こいのぼりの起源となったのは旗指物と言われています。旗指物は辞典によると戦国時代以降、戦場で武士が自分や自分の隊の目印として鎧の受筒に立てたり、部下に持たせたりした小旗や飾りの作り物の事とあります。武家社会では戦場以外でも、将軍家に男の子が誕生した際や、端午の節句の日に武運祈願や虫干し(日光に当て風を通して、湿気やカビ、虫の害を防ぐこと)の為にこの旗指物を飾っていたそうです。その文化が裕福な町民に伝わり、鐘馗とよばれる中国の神様や武者絵、金太郎など縁起が良いものが描かれ「節句のぼり」と言われるものに進化していきました。この時よく描かれていた図柄の一つが鯉の滝登り。鯉は清流だけでなく、池や沼でも生息することができる、強い生命力を持った魚です。その鯉が急流をさかのぼり、滝を登りきると竜になって天に登るという中国の伝説にちなんで、こどもが人生の難関を乗り越えて立派な大人になるように(立身出世)を願って描かれていました。江戸時代には布が効果だった為、和紙に鯉が描かれるようになり、庶民でも気軽に飾れるようになりました。大正時代には空を泳ぐ立体的なこいのぼりになり、昭和に入ってから現代でも馴染みのあるナイロン製のこいのぼりが飾られるようになっていきました。こいのぼりと聞くと直接的に「鯉の滝登り」を想像する方もいるかもしれませんが、“鯉”を模った“のぼり”が正しい解釈なんですね。
こいのぼりの色に意味はあるの?
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