雛人形を飾る意味とは?
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雛人形とは、本来、災いから子供を守る、いわば人の形をした「お守り」のような役目を持っています。そのため、女の子が産まれると、1人につき1セットの雛人形を持ち、桃の節句(3月3日)に、その子の健やかな成長と幸せを願って雛人形を飾るというのが元々の意味です。
また、女の子が幸せな結婚が出来るようにと言った願いもあるため、雛人形は結婚式のシーンを表したものでもあります。
また、女の子が幸せな結婚が出来るようにと言った願いもあるため、雛人形は結婚式のシーンを表したものでもあります。
雛人形を母親から譲り受けるのはNG?姉妹だった場合はどうする?
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雛人形は、先にも述べたようにお守りのような役割を持っているため、本来であれば、母親から譲り受けることは間違いです。しかし、現在では、「モノを大切に使う」というような考え方もあるため、代々雛人形を譲り受けるというご家庭も増えています。
また、女の子が産まれたら、1人につき1セットのお雛様を買ってあげるのが本来の姿なのですが、姉妹だった場合に2セット購入するのは、経済的にも保管場所にも困ってしまうので、これも現在では、一家に1セットとしていることが多いようです。
姉妹の場合は、一般的な雛人形に名前の札をそれぞれ飾ったり、吊るし雛やミニ雛人形を飾ったりしています。本来の雛人形の意味を知れば、小さくても1人につき1つ持たせてあげたいものですね。
また、女の子が産まれたら、1人につき1セットのお雛様を買ってあげるのが本来の姿なのですが、姉妹だった場合に2セット購入するのは、経済的にも保管場所にも困ってしまうので、これも現在では、一家に1セットとしていることが多いようです。
姉妹の場合は、一般的な雛人形に名前の札をそれぞれ飾ったり、吊るし雛やミニ雛人形を飾ったりしています。本来の雛人形の意味を知れば、小さくても1人につき1つ持たせてあげたいものですね。
雛人形の歴史と由来
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雛人形のルーツを調べてみると、平安時代までさかのぼり、意外と歴史が古いことが分かりました。早速、雛人形の歴史や由来について詳しくご紹介しましょう。
◆雛人形の原型は平安時代の「おままごと」だった
平安時代の貴族階級の女の子がしていた「ひいな遊び」で使っていた人形が、現在の雛人形の原型ではないかと言われています。ひいな遊びとは、今でいうおままごとやお人形遊びのようなもので、当時は紙で作られた人形を使っていました。
また、平安時代には「上巳の節句」の際に、草や藁で作った人形で体をなで、災いを人形に移し、川に流すという行事が行われていました。人形を川に流す=厄払いの意味があったとされています。こちらも、現在の流し雛という風習の元になったとされ、今でも各地で行われるイベントの1つです。
また、平安時代には「上巳の節句」の際に、草や藁で作った人形で体をなで、災いを人形に移し、川に流すという行事が行われていました。人形を川に流す=厄払いの意味があったとされています。こちらも、現在の流し雛という風習の元になったとされ、今でも各地で行われるイベントの1つです。
◆室町時代に3月3日の節句が定着した
平安時代から行われていた上巳の節句のイベントも、室町時代になると3月3日に行われるものとして定着し、今でいうひな祭りの原型となりました。
また、紙で作られた人形だった雛人形も、今のようないわゆる「お人形」の形へ進化していったそうです。
また、紙で作られた人形だった雛人形も、今のようないわゆる「お人形」の形へ進化していったそうです。
◆江戸時代に雛人形は「流す」から「飾る」ものへと変化
これまで紙や藁などで作られていた雛人形も、室町時代にやっと「お人形」となり、さらに江戸時代に人形を作る技術が発達すると、より精巧で豪華なものへと変わっていきました。すると、これまで川に流していた雛人形も、「流す」のではなく「飾る」ものへと変わり、現在のように美しくて華やかな雛人形を飾って、女の子の成長を祝うものになったのです。
また、江戸幕府が五節句を制定すると、3月3日が桃の節句となり、この日に雛人形を飾ってお祝いする「ひな祭り」が定着していったのだそうです。
また、江戸幕府が五節句を制定すると、3月3日が桃の節句となり、この日に雛人形を飾ってお祝いする「ひな祭り」が定着していったのだそうです。